August 2008
958 名前:(‘A`) 本日のレス 投稿日:2006/04/22(土) 01:02:07 0
ヤフオクの写真用に一眼レフのデジカメ買ったんだけど、
デジカメ買ったの初めてだったから嬉しくて外で色々撮ってたんだよね。桜とかアヒルとか。
そしたら、俺と同じ年くらいの見知らぬ男がつけて来てさ、
なんか気持ち悪いから自転車に乗って帰ろうとしたたら、
いきなり自転車のハンドルをつかまれて、何ですか?って言ったら、
あんた、さっきうちの子供の写真を撮ってただろ!なんて言い出して・・・。
「はぁ?撮ってないですよ!何言ってんですか?」
「じゃあ写したもの見せろよ!」
「嫌です!」
なんて言い争っているうちに、その人の奥さんと子供(6歳くらい)や、
犬の散歩の人とかが集まってきて10人くらい遠巻きに見てた。
仕方が無いからデジカメ渡して画像を見せたけど、当然子供なんて写ってなくて、
謝るかと思ったら、お前さっき画像消しただろ!なんて言い出す始末・・・。
俺は無言でデジカメを奪い返して自転車に乗って帰ったけど、
そいつを含めた周りの人達の、変質者を見るような目が忘れられない・・・。
三十路毒男はカメラを持って出歩いちゃいけないのかよ。
” —5/25頑張れ、超頑張れ。 - 夏の葬列 (via petapeta) (via kml)相手はこう思っているに違いない
→心の先読みもうだめだと些細なことも極端に考える
→全か無か(根拠が薄いのに)絶対こうだと決めつける
→感情的決めつけ〜すべきと自分をおいつめる
→すべき思考いつも同様の結果になると考える
→過剰な一般化きっとうまくいかない
→否定的予測すべて自分のせいだと考える
→自己関連付け
kml:
■非コミュの作り方1 :「相手に集中できない」のメカニズム
非コミュの問題点は「合わせることができない」「適切なコメントを出せない」につきると思う。昔は瞬発力の問題だと思っていた時期が私にもありましたが、むしろ瞬発力は高いだろう。問題なのは「思考の焦点を制御できない、相手の話に合わせられない」でFAかと。
つまり「相手の話」より「自分の思考」を優先してしまうという、まさに「非コミュニケーション志向」「コミュニケーションの断絶」が非コミュの人間にはあると思われる。会話についていけないとか、「ディスコミュニケーション」とか「空気を読めない」とかそんなチャチなものじゃ決してない。思考の在り方というもっと恐ろしいものの片鱗がそこにある。
つまり、「相手の話」に集中できないのだ。人間が1分間に話せるのは150語程度、一方1分間に展開できる思考は600語程度とされており、このギャップ部分に対して、「相手の話に集中する」「相手の身振りや手振りなど非言語コミュニケーションに注目できる」「相手の話についてきょうみを持ち、次の質問を考えられる」などがコミュニケーションの正しい姿勢である。
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■非コミュスパイラル(入口)できる人間には当たり前のことだろうが、これができない人間がいる。それが「非コミュ」と呼ばれる人たち。俗にいう「文字情報」だけで人との情報のやり取りを行うのが主の人間である。人と直接会って会話することなく、ネットや書籍など文字情報とだけ付き合っているとヤバいことになる。
この場合、言語情報の処理は一般の人以上に訓練される、非言語情報の受容機能が衰え、そこに意識を向けることができない。そのため、「会話」は遅すぎて退屈してしまう。そして、空いたリソースの使い方がわからず、居心地が悪く感じてしまうのだ。
自分の在り方が間違っているのだが、ここで「会話=退屈」であり、文章読んでる方がまし、と思うようになってしまうと、もはや軌道修正は困難になる。ますますコミュニケーションができなくなる「非コミュスパイラル」が生み出される。
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■非コミュスパイラル(自分から他人に対して想像力が働くなくなり、自分の内側に籠る)制約条件がない状態で、思考を錬る訓練は、並の人間より優れているかもしれない。ただ、「制約条件」がない、つまり否定される恐れがなかったり、相手に伝わらないことを恐れなくてよい場合、ますます思考リソースが、自分の閉じた脳内のみで展開され、とんでもない方向に向かう。
■非コミュスパイラル(他人の会話を受けて、それに合わせることができなくなる)
また、普通の人にはできる「相手の意見を受けて、最低でもそれに即座に同調する」ができない。下手に自分の意見にこだわらずに、それを土台に話を続ければいいのに、
なまじ自由に考える癖がついているから、相手の話をうけて思いつくことは、話の流れとは全然違うところにあったりする。その場で見れば「突拍子もない」ような話。
そして、空気が読めないやつなら、それでも思ったことをそのままいって「ワケわかんねーよww」という軌道修正をうけながら、とりあえずその場にとどまることはできると思うが、なまじ空気が読めてしまうと、その場から一歩身を引いてしまう。あるいは、思いついたことを、そのまま自分の中で継続してしまって、その場の話の流れからどんどん乖離していく。
つまり、ほかの人との会話が、自分の思考のきっかけとしてしか機能せず、そこからは自分一人の内的会話に終始してしまう。「対話」という形で話を盛り上げていくことができない。これではコミュニケーションが成り立たない。
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■非コミュとしての生き方=非コミュはコミュニケーションがある人間の補集合ではない・・・とまぁこんな感じで、どんどんどんどん「非コミュ力」が鍛えられていってる。
擬似的なサヴァン症候群みたいなもの。ハッキリ言って、もう普通の人間に戻るのは難しい。ならば、「非コミュ」は、いまさら人並みより劣るコミュニケーション能力を取り戻そうとするのではなく、自分の内的世界で、その「非コミュ力」を十分に発揮して、別の分野で貢献するのが良いのではなかろうか。それこそ「ネットの住民」として、自分にしかできないことを発見すべきではなかろうか。
自分を「補集合」におくな。非コミュは非コミュとして、自分に誇りを持って、自分にしかできない生き方を。